022【落としどころ】
当然なんですが、書店もその場で働くスタッフが複数人います。あたりまえです。
ここで、やはり、というか、どこの職場でもあであろう人間関係、
のようなものがあるわけです。
あたりまですけどね。
そして、そのチーム運営に関しては割と多きな時間がさかれるわです。
小さなこともあれば、大きなこともあります。
業務上のことで意見が対立して、そこから感情論になってしまい、
もうどうしようもなく個人間の対立になることも。
ボクはこういった類のことには、線引きをして、フラットに接するようにしてきていましたが、立場上、そうもいってられなくなって、積極的に関わることが多くなりました。
そこで経験した意外で、不意をつかれたことってすごく大きかったです。
それは、“ボク”は簡単に嫌われるということでした。
そんなはずはないと、これまでの自分に対する過信が一気に覚めていき、
戸惑いました。
いやぁ、嫌われるというのは、とっても簡単なんだなぁと思いました。
いま、こうして平坦に文章として書いてますが、
当時は結構、ショックでしたよ。
自分が自分がいないところで批判されているということを知ることは。
今朝、村本さんと乙武さんが番組で辺野古について語られた対談の記事にされたものを
読んで思い出したのが、このことで。
落としどころをつけるということが政治には必要とされるという乙武さんがおっしゃられていて。
落としどころっていく言葉ってなんとなくなんですが、ずるい気がするじゃないですか。そして、その判断を決していく政治家って、やっぱり狡猾でないといけないみたい視点もみえなくはない。対立する両者に良い顔しながら、その落としどころをこころ内でさぐるという。
でも、結局、こういったときに必要になるのは、
それまでのクレジットなんだと思うんですよね。
信頼関係。
それを具体的に紡ぐ言葉の力もやっぱり大事。
それに見合う以上の行動も必然的に求められます。
ここを完璧に示せたとしても、完全な理解は得られないとも思います。
そして、それは政治的な判断をもって決断されるということになる。
これを継続してできる政治家が存在するとしたら、
やぱり立派だと思う。
そんな水曜日のはじまりでした。
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021【正しくは想像するしかない】
今日は出勤をする前に松屋銀座7階ギャラリーで開催中の菅俊一さんの企画展へ。単純に面白い。もっと量で見たいとも。モニターに映された線で描かれたそれらを知覚し、程よく 正しくは想像させる 為にブラックアウト。絶妙。正しくは想像させられる。
020【自転車】
電動自転車で新宿。帰りは奥さんと交代で電動なし。これはもうすごい差ですよね。電動は移動範囲拡がるし良い。
018【覚悟】
今日は版元営業ご担当者さまご来店やお礼のメールに時間を費やし、それだけで色々なし崩的に仕事を終わらせていった。
017【朝】
目朝目覚めると過去の記憶がふいに蘇り時間軸がおかしくなることがあった。この数年はない。そしてそれは1日を存分に楽しめる休日の朝、天気が良い暖かな日に多かった。幸福に潜むそうではないもうひとつのあたりまえが不安にさせてたのか。
いま、何ももたない1日の始まりはない。だから、今日もたちあがっていく1日をはじめる。
【】
014【そして頭痛は続いていくのだ】
ボクはもう何年も前から、疲れていると頭が痛くなる。正確に思い出せないんですが、10年以上前からだと思う。こうやって、具体的に数字を出してみるとやばいな…。
はじめは、あ、気になるなぁ、暫く続くんだろうなぁという憂鬱になったてたんですが、イヴを飲めば治まるということに気づいてからは、とにかく頭が痛くなる気配を感じるとイヴ、みたくなって、とにかく薬頼みになった。
だから小銭入れにはいつも4錠くらいは常備されており、これがたまたまないときにその気配を察知すると、困っちゃうのだ。
おそらく、もうこうしてずっとそうななおだから、死ぬまで、つづくのかも知れない。今はでも、とにかく前に突っ伏していくモード。
よく、見る前に飛べといったものだけれども、このご時世、ますます声高に誰しもがそういうのだ。これは、つまり、誰しも飛べるハードルが極端に下がっていることも意味している。手のひらサイズのスーパーコンピューターは、いともたやすく、自分をメディア化してくれる。
ボクが働く書店はいまどき珍しく、ネットワークからほぼ切断している。呟かないし、無暗に発信することを是としていない。スタンスがあるわけで、何が間違いとはいえないのだけれども、よくいえば現場第一主義であり、極めて保守的な書店ともいえる。
組織と個人を考えて、ボクは両軸で生きていくことに決めた。やめてくれといわれれば、すぐに職場を変えればいい。そのとき、せめて手を動かすことはやめてはならないし、そんなことしてたらあっという間に社会から放り出されるだろう。
今はこうしてつらつらとブログを書くことが全く苦痛ではない。たとえ、頭痛がやまなくても。
3年後の自分はきっと、すごい。今日も成長、成熟をしていく。
いってきます。
【】
013【春、中目黒にて】
まさか自分がラン活するとはねぇ。人生、わからないものですよ、本当に。
奥さまに誘われて中目黒の『土屋鞄』にいったのが丁度一年くらい前だったかな。
オープン前のcow booksを通り過ぎて、さらに目黒川沿いをすすむ、すすむ。
ランドセルの購買活動、すなわちラン活は新しい市場らしい。
6年間使うこと前提だから、やっぱり良いものを買いたいっていうのがあるんだろう。
その後、奥さまと娘さまにより選ばれし、間もなく鞄が届くらしい。
ボクとしては、子どもはあまり背負わず、身軽にたくさん経験してほしい。
父もがんばるよ。
まかせとけ、。
【わたしのワンピース】にしまきかやこ/こぐま社
4月に小学校に入学する娘が1歳のときに手にした絵本です。確か近所にある小さな本屋さんの小さな児童書コーナーで購入したと思う。つまり、定番書なわけであり、1968年に刊行されています。すごいですね、ボクも生まれてない。そして、ボクには読まれていない。女の子だし、ワンピースだし、おしゃれさんでだし。という理由で手にしました。児童書を子どもに手渡すときに意識することは、これイイよっていう感覚が自分にあるかどうかだけです。実はいうとこの本はあまり、それが強くなかったんですよね。でもね、子どもはすごく興味をもってくれた絵本です。
ランランロロロンランロロロン、なんです。
敢えていうと、わりと雑な展開な絵本だと思うんですよね。
だって、白地のワンピースが次々とコピペされていくっていう。
でも、まず、この分かりやすい発想って、子どもにダイレクトにささりますよね。
できうる限りで幼かった自分を思い出すと、やっぱり分かり易いことにすごく興奮して思いきり楽しんでいたもの。
わかりやすいっていうのは、伝える側の発想で受け手として考えるとただただ楽しいんですよね。
だから、この絵本は時代性がない。絵本全般にいえますが、古びることがないんです。
ボクは親として初めてこの絵本を手にして、初めてこの絵本を子どもに読むという経験を体験するんですよね。たった一回きりの体験です。
だから、それは誰とっても古くはならない体験なんですね。
今日もどこかで、はじめてが、生まれていくわけですね。
012【平成はとっくに終わっているんだ】
本をたくさん選んだからこそなのか、結局のところ「あ、お邪魔します、本棚拝見させていただきます」っていうのが選書感あると思っています。
お金を出して読みたかった、もしくは読もうとしているラインナップを見て、なるほど、なるほどって。
平成の終わりに向けて当然、各書店はフェアを企画してすでに多くの書店が展開しているし、これからも続く。今回は元号が変わることが事前に明確に定められたから、順次平成通史本も多く出版されてますよね。
平成フェアの選書を担当することとなったヒトが、フィルターかけ展開するのが嫌だなんていうわけです。結局自己満足だしさ、みたいに。
【011】変態するセカイ
というか、たいていの面白いことというのは低俗なことからはじまっているもので、そしてそこに垣間見えるいかにも人間だなぁというところが面白いに接続されていくものでしょう。意外性、想定外、この落差がまたなお、どうしようもなく愛おしくなる。
それぞれのひとの人生において、その日常は繰り返し繰り返し、そして繰り返されている。わけではない。変化し、変態化する毎日に放り投げられたボクら死ぬまで、生きる。
知り合いが不倫、世代を代表する有名人がコカイン吸引、ブログでママアピールするも不倫、子煩悩な知人が離婚、身内との突然の別れ、卒園。入学。アルバイトさん突然来なくなる、これにはきっと当人とっては大きな問題がある。
全く予測方向でない事実が露わになって、今日は面白かったのだ。
【断片的な社会学】岸正彦/朝日出版
【010】もう会えるヒトは限られている
先日、幡野広志さんの写真展を見にいってきまして。ほぼ日のTOBICHI、青山。どうゆうわけか、電車で青山にいくって、未だに照れみたいのがあるのはどうしてだろうか?かつて、ギャルソンだ、アンダーカバーだ、ヒスだ、行くぞ、ひやかすぞ、勢いで買っちゃうぞみたいな、ノリで現奥様とよくひやかしてたんですけどね。ビックスクーター乗って。
20代はじめ写真をやっていた頃、ボクは〈俺はセンスがある。営業力はない〉と思っていました。撮る写真を作家としてタメていくのは、いまにして思えば、全く量がたりていなかったし、経済的にもまったく成立しないなかで、もがいてました。映像の学校を卒業してスタジオで肉体的に追い詰められ、精神的にもいろいろ苦労はあったけど、やっぱり楽しかったし、現実的なカネのはなしなんてもっともっとないがしろしてても面白かったかもしれない。
時間は流れて、ボクは今、本屋さんで働いている。幡野さんの写真をみて、いろいろ考える要素があるんですが、ボクも、もう出会えるヒトや経験できるコトは限られていてそして、それは本当に本当にはめちゃくちゃ一瞬一瞬が輝いている。あえて今回、写真家としての幡野さんの文法みたいなものがみえる展示もされていたように思うけれど、そういった時間軸みたいな過ぎ去ったスタイルみたいなものは、この際、自分こととしてとらえてみると(勝手で申し訳ございません)、どうでもいいことなんですよね。
もう会えるヒトは限られているし、
出会いたいという気持ちを輝かせよう。
そう思いました。
【009 誇り】
昨日は仕事中(デスクワーク、ぼくはわりとここに時間がさかれてしまっている)しているときに、音楽活動しながら本屋さんでアルバイトしているスタッフと話していて、お金や、権威やそーゆーんじゃなくて、おまえは【誇り】があるかっていうのが、いいよねってなりまして。
うん、うん、そうだよねって。当然なことではあるんだけれど、ここはつまり、オマエ自分をもって、自分を生きてのかってことで、すべての佇まいに関わってくることだから、常日頃から意識的に自分に問わなきゃいけないよねと。
ここをわりとイージーに流して、いやいや、今はさぁ、ステップアップ中だし、うちは組織だからさぁやっぱ忖度しなきゃいけない部分ってけっこぉーあるんだよねぇっていうのが、ありがちでして。
定期的に外部のヒトと接触して、そのときありのままの自分をさらけ出したとき、勝負(お仕事)できるのかって。
本屋さんに勤めていると、受け身であることが基本姿勢になりがちでね。やっぱり、自分をグレードアップしてかなきゃ何にもかわらない。
【「自分メディア」はこう作る!】ちきりん/文藝春秋